地理的拡大と経済基盤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 16:39 UTC 版)
「ズィヤード朝」の記事における「地理的拡大と経済基盤」の解説
勝利の後、ムハンマドは、マアムーンによってイエメンのアミールに任命され、アリーの子孫に従うシーア派の影響力を押さえ込む任を与えられた。ムハンマドは彼の首都として新しい都市ザビードを建設した。それは円形に作られ、紅海とイエメン西部の山岳地帯との中間に位置していた。 彼は、アッバース朝を君主と仰ぎながら、ハドラマウト地方とイエメン高地の一部に影響力を拡大することができた 。 歴史家ウマラ(Umara)はハドラマウト、Diyar Kindah、シフル(英語版) 、 ミルバト(オマーン)、 アビヤン、 ラヒジュ 、アデン、北の海岸沿い(現フダイダ県)のハリ(Al Hali)などのほか、ヤナード(現タイズ)、 アル・マアフィール(Al-Ma'afir)、ジャファール(Ja'far) 、 サナア 、サアダ、ナジュラーン 、および高地のベイハン(英語版)などのように彼の支配地を列挙している 。 しかし、記録はやや曖昧であり、歴史家のアル・ハンダニ(al-Hamdani)は、別の部族であるシュラー族(Banu Shurah)が9世紀の一時期、ティハマを支配してザビードを建てたと主張している。別の記録では、サヌアは実際には847年までアッバース朝の太守によって統治され続けたようである。 ズィヤード朝の領域の経済構造についてはほとんど知られていない。歴史家のウマラは、王朝が繁栄する国際貿易によって支えられたと書いている。統治者はインドから来る船から関税を得た。東からは麝香、樟脳、龍涎香、白檀、磁器などの高級品が運ばれた。アフリカからは、ダフラク諸島を経由してエチオピア人とヌビア人の奴隷がやって来た。ウマラはまた、バブ・エル・マンデブ海峡と南海岸での龍涎香の採集と真珠採取に対する税についても言及している
※この「地理的拡大と経済基盤」の解説は、「ズィヤード朝」の解説の一部です。
「地理的拡大と経済基盤」を含む「ズィヤード朝」の記事については、「ズィヤード朝」の概要を参照ください。
- 地理的拡大と経済基盤のページへのリンク