国産ジェットエンジンの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 01:05 UTC 版)
「日本ジェットエンジン」の記事における「国産ジェットエンジンの開発」の解説
一方、日本でも独自にジェットエンジンの開発を行うべく、通商産業省(現経済産業省)は、1952年(昭和27年)11月に国会で「航空機製造法」が施行された後、航空機生産審議会において「我が国航空機工業の再建振興方策」の諮問第一号を出し、翌年6月に「ジェットエンジン試作研究に関する特別措置」を公表して、試作するメーカーには助成金を出すとして募集した。 最初に名乗りをあげたのは大宮富士工業だった。戦前に三菱と互角に航空機を作った中島飛行機は完全に解体され、航空再開後は工場毎の富士重工業と富士精密工業など数社にまとまった。その中の大宮富士工業の技術者、渋谷巌は日本が追いつくにはジェットエンジンを物にしなければならないと感じ、元中島のエンジン部門だった富士精密の協力を得て、助成金320万円を受け、1953年(昭和28年)から独自に欧米の文献を読み漁りながらジェットエンジンを開発し、翌年には戦後初の国産ジェットエンジン、「JO-1」を完成させてしまった。しかしJO-1は馬力が出ず、地上で試運転するだけであった。このことから渋谷は、ジェットエンジン開発には国や大企業の強力な支えが無ければものにならないと痛感した。
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