国家保安裁判所
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1982年憲法の下で、国家の安全保障に対する犯罪及びその組織化に関する事件を審理するため、当時の軍事政権が国家保安裁判所 (Devlet Güvenlik Mahkemesi) を設立した。国家保安裁判所 (DGM) は1984年5月に執務を開始し、戦時法期に執務していた軍事裁判所に取って代わった。国家保安裁判所が置かれているのは、8つ(当時は全67県、現在は全81県)の県のみである。 1991年4月、対破壊活動闘争法(法律第3713号)が施行され、国家の安全保障に対する犯罪に関する事件は、この法律の下で処罰されることになった。各国家保安裁判所は3人の裁判官による合議体で構成されるが、その中には軍事裁判官も含まれていた。武装官憲と同様に、こうした軍事裁判官も給与及び年金を軍から支給され、軍の規律に服したままであり、従って、軍の統制から独立しないままであった。いくつもの事件において、欧州人権裁判所は、国家保安裁判所における軍事裁判官の存在は人権の保護及び基本的自由に関する欧州条約 (ECHR) 6条所定の公正な審理の原則に違反することを明らかにしてきた。 1999年6月、当時のトルコ政府は裁判体から軍事裁判官を外した。2004年6月に議会を通過した憲法改正一括法案によって、国家保安裁判所は正式に廃止された。国家保安裁判所は重罪裁判所の中に解消され、組織化犯罪、テロ及び国家安全保障に関する犯罪を審理する権限のみを有する。2005年6月1日に新刑事訴訟法典が施行されてからは、国家保安裁判所の公式名称は「重罪裁判所(刑事訴訟法典250条所定の犯罪審理担当)」である。この裁判所が受理する事件のほとんどは政治犯に関するものである。
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