国内自動車メーカーの競争過熱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:39 UTC 版)
「1964年日本グランプリ (4輪)」の記事における「国内自動車メーカーの競争過熱」の解説
第2回大会はアマチュア主体の前回から様変わりし、国内自動車メーカーが真剣勝負を繰り広げるイベントとなった。外国車輸入自由化が迫り、自動車業界の再編が囁かれる時勢において、日本GPの勝利は顧客に技術力をアピールする有効な宣伝材料となった。前回、出場3クラスに優勝したトヨタは新聞広告などで大々的にグランプリ優勝キャンペーンを行い、販売成績を伸ばした。レースに消極的だった他社もこれに刺激され、日本GPに向けて体制を整えた。トヨタ、日産、新三菱、プリンス、本田技研、東洋工業、いすゞ、鈴木自工、富士重工、日野といった、国内自動車メーカーのほぼ全てがワークスチームを送り込むという、後先にも例のないレースとなった。 各ワークスは市販車に競技用スペシャルチューンを施し、海外から高性能パーツを取り寄せ、公認取得のためスポーツキットを発売した。特にプリンスチームは前年の惨敗ぶりから、社長の「次は絶対に勝て」の厳命が下り、このレースに勝つためだけの特別な車を作った程であった。 2輪ライダーのスカウトや一般オーディションでワークスドライバーを選抜し、高額の契約金を支払った。今大会では田中健二郎(日産)、鈴木誠一(日産)、北野元(ホンダ)、砂子義一(プリンス)、大石秀夫(プリンス)、片山義美(東洋工業)、浮谷東次郎(トヨタ)らが4輪レースデビューした。 鈴鹿サーキットでの練習走行にも熱が入り、クラッシュや横転事故が相次いだ。1時間25万円というコース使用料を惜しまず専有走行時間を取り合い、コース脇には他社の動向を探るスパイが出没した。トヨタが自社テストコースに鈴鹿を模したコーナーを作ったと聞けば、ライバルはヘリコプターを飛ばして上空から偵察した。日本GPに投じられた費用総額は10億円、トヨタと日産は2億円、プリンスは1億5千万円と報じられた。
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