品川区の前史と行政区画の移り変わりとは? わかりやすく解説

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品川区の前史と行政区画の移り変わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/11 11:49 UTC 版)

品川区の町名」の記事における「品川区の前史と行政区画の移り変わり」の解説

1.品川町 2.大井村 3.大崎村 4.目黒村 5.碑衾村 6.平塚村 7.大森村 8.入新井村 9.調布村 10.池上村 11.馬込村 12.羽田村 13.蒲田村 14.六郷村 15.矢口村 16.駒沢村 17.世田ヶ谷村 18.玉川村 19.松沢村 (青:品川区 紫:目黒区 赤:大田区 世田谷区東京都品川区は、昭和22年1947年3月15日当時の(旧)品川区荏原区合併して成立した。以下、明治時代初期から品川区成立までの行政区画変遷について略述する。 現在の品川区区域は、かつては武蔵国荏原郡属し明治2年から4年(1869 - 1871年)までは品川県属していた。荏原郡区域は、現在の品川区大田区目黒区のほぼ全域世田谷区一部相当する明治4年7月1871年8月)、廃藩置県実施された。同年11月1872年1月)、従来東京府品川県小菅県廃止されて、新し東京府設置され荏原郡区域東京府属することとなった同時に府内は6大区97小区分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年1874年3月区割り見直されあらため11大区103小区設置された。後に品川区となる区域は、このうちの第7大区2・3・5小区属していた。 その後郡区町村編制法施行に伴い大区小区制廃止され明治11年1878年11月2日東京府下に15区6郡(荏原郡南豊島郡北豊島郡東多摩郡南足立郡南葛飾郡)が置かれた。後に品川区となる区域は、このうち荏原郡属していた。 明治22年1889年)、市制・町村制施行され東京市15区からなる)が成立府下の6郡は既存町村整理統合され85町村となったこのうち荏原郡属していたのは5町14であり、現在の品川区区域該当するのは品川町大井村大崎村平塚村の1町3である。なお、前述の6郡のうち、南豊島郡東多摩郡明治29年1896年)に合併して豊多摩郡となっている。 昭和7年1932年10月1日東京市周辺の5郡(荏原、北豊島豊多摩南足立、南葛飾)に属す82町村編入しいわゆる大東京市が成立した編入され82町村20区編成され東京市既存15区合わせ35区から構成されることとなった品川区前身である旧品川区荏原区はこの時に成立したもので、品川町大井町(旧大井村)、大崎町(旧大崎村)の区域品川区荏原町(旧平塚村)の区域荏原区となった昭和18年1943年7月1日東京府東京市廃止されて、新たに東京都設置された。この時、品川区荏原区を含む35区は東京都直轄の区となった昭和22年1947年3月15日前述のとおり、これら2区合併して新し品川区となった

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「品川区の前史と行政区画の移り変わり」を含む「品川区の町名」の記事については、「品川区の町名」の概要を参照ください。

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