和泉式部の和歌の源流とは? わかりやすく解説

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和泉式部の和歌の源流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:51 UTC 版)

和泉式部」の記事における「和泉式部の和歌の源流」の解説

和泉式部は、後に紫式部(『紫式部日記』)に「口に任せたることどもに、必ずをかしき一節の、目にとまる詠み添へ侍りと言われているため、「天才肌歌人」というイメージ定着している。しかし、一方で、彼女は先行詩歌から表現歌材詠出手法学んでいた痕跡窺える。 『正集』の冒頭には春夏秋冬+恋という部立が設けられた「百首歌実際に欠損生じ97首)」が見られるように、和泉式部は「曽禰好忠源重之源重之女の「百首歌いわゆる初期百首」)」を学んでおり、彼らの歌に類似しながらも、詠まれ世界異なるという彼女の力量著した歌を『正集』に残している。和泉式部は「百首歌」によって、百首歌人の「先行歌に対し、ある時は歌材やその境地共有し、ある時は新たな要素付加して展開させ、ある時は反発してみせる」という作歌手法や、『万葉集以降先行歌を徹底的に学ぶ姿勢影響受けている。 和泉式部は『後撰和歌集』も学んでおり、天智天皇の「秋の田のかりほのいほのをあらみ我が衣手露にぬれつつ」の歌を基にした「秋の田の庵にふけるをあらみもりくる露のいやは寝らるる」を詠んでいる。 和泉式部歌学びは詩歌世界にも及んでおり、『紫式部日記』に「その方の才ある人、はかない言葉の匂ひも見え侍るめり」とあるように、和泉式部漢詩文教養もあり、詩的な世界下敷きにして作歌してもいる。例えば、「岩躑躅折りもてぞ見る背子着し紅ぞめの衣に似たれば(正集・十九)」という歌があるが、躑躅は『白氏文集』や『千載佳句』、『和漢朗詠集』などで取り上げられており、漢詩世界ではポピュラー景物であったこの他にも和泉式部は、『万葉集』や『伊勢物語』も学んでいた。『和泉式部続集続集)』には、ある人から「万葉集しばし(『万葉集』少しの間借りしたい)」と申し出があったことが記されている。この時、和泉式部『万葉集』所有していなかったが、返答として「かきのもととめず(書き留めていません)」と述べており、「『万葉集』を一旦は手元置き勉強したこと」、「柿本人麻呂連想させる返答をしていること」がわかる。『袋草子』には、『伊勢物語』の伝本中に「泉式部本」があったことが記されている。

※この「和泉式部の和歌の源流」の解説は、「和泉式部」の解説の一部です。
「和泉式部の和歌の源流」を含む「和泉式部」の記事については、「和泉式部」の概要を参照ください。

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