名誉勲章感状
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フランクリン・ルーズベルト大統領署名による名誉勲章感状の内容は以下のとおり: アメリカ合衆国大統領は、アメリカ合衆国議会の名において以下の者に名誉勲章を授与する。 軍曹 ジョン・バジロン アメリカ合衆国海兵隊 以下の感状にその功績を示す。 1942年10月24日および25日、第1海兵師団第7海兵連隊第1大隊所属としてソロモン諸島ガダルカナル島ルンガ地区で行われた敵日本軍との戦闘において示された、義務として要求される以上の類稀なる英雄的行為とその際立った勇敢さをここに称える。 バジロン軍曹は、敵軍が海兵隊防衛陣地に繰り返し攻撃をかける中重機関銃分隊2個分隊を指揮し、敵軍の決然たる猛攻を阻止するため果敢に戦った。日本軍の凄まじい正面攻撃を受け敵手榴弾及び迫撃砲攻撃によって機関銃を破壊された上、バジロン軍曹指揮下の分隊は銃手も含め2名を残して死傷し戦闘継続が不可能な状態となったが、バジロン軍曹は予備の機関銃を銃座に据えて銃撃を再開させつつ、敵軍の絶え間ない砲火の下、別の1挺を修理して自ら銃手となり交代の部隊が来るまでの間敢然と前線を維持し続けた。やがて弾薬が底をついて補給も途絶えた際、バジロン軍曹は敵兵の執拗な攻撃に遭い自らの生命を多大な危険にさらしながらも、敵陣を突破して味方銃手の必要とする弾薬を持ち帰り、結果として敵日本軍の連隊を実質的に殲滅させることに大いに貢献した。 その偉大なる武勇と勇気ある自発的行動は、アメリカ合衆国海軍最高の伝統に適うものである。
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名誉勲章感状
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「エドワード・アレン (名誉勲章受章者)」の記事における「名誉勲章感状」の解説
日付原文和訳1901年7月15日 Fighting with the relief expedition of the Allied forces on 13, 20, 21, and 22 June 1900, Allen distinguished himself by meritorious conduct. 1900年6月13日、20日、21日、22日に連合軍の救援遠征隊とともに戦闘し、アレンは称賛に値する行動により功を立てた。
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名誉勲章感状
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「アレグザンダー・マッケンジー (名誉勲章受章者)」の記事における「名誉勲章感状」の解説
日付原文和訳1872年2月8日 On board the U.S.S. Colorado during the capture of the Korean forts, June 11, 1871. Fighting at the side of Lt. McKee during this action, McKenzie was struck by a sword and received a severe cut in the head from the blow. 1871年6月11日、朝鮮軍の要塞の攻略戦でコロラドに乗艦。この交戦においてマッキー大尉の脇で戦闘している際、マッケンジーは剣で切り付けられ、頭部に重傷を負った。
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