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吉瀬維哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 04:35 UTC 版)

吉瀬 維哉(よしせ しげや、1922年7月4日 - 2003年12月22日)は、日本大蔵官僚大蔵事務次官日本開発銀行総裁

来歴・人物

神奈川県横浜市生まれ。横浜第一中学校時代、「開校以来の秀才」と言われていた[1]第一高等学校東京帝国大学法学部を卒業し、1946年に大蔵省へ入省。大臣官房文書課に配属[2]1948年7月に高等試験行政科を合格。1949年6月に千葉税務署長1954年11月1日)に大阪国税局調査査察部次長。主計局主計官補佐(農林係)を経て、1959年5月10日 農林省大臣官房調査官(農林漁業基本問題調査会事務局)、1960年12月1日 東京国税局直税部長、1961年 東京国税局直税部長兼東京国税局総務部長、1962年6月1日 国税庁直税部法人税課長、1964年7月6日 主計局主計官(外務、通産担当)、1966年8月1日 大臣官房秘書課長、1969年8月 大阪国税局長1971年6月 主計局次長1973年6月26日経済企画庁長官官房長1974年6月26日に理財局長1975年7月8日主計局長兼会計事務職員研修所長、1977年6月に事務次官に就任。戦後に入省した大蔵官僚の中でもっとも早く次官に到達した。退官後、日本開発銀行副総裁を経て日本開発銀行総裁に就任した。三井住友海上火災保険顧問、初等社顧問[3]、財団法人トラスト60会長、レールシティ汐留企画代表取締役、磐梯リゾート会長、国鉄再建監理委員会委員なども務めた。1994年、勲一等瑞宝章受章[4]。2003年12月22日、脳出血のため死亡した。

主な著書

  • 「新税務会計講座」
  • 「法人税法」
  • 「都市のシルエット」

脚注

  1. ^ 東洋経済 第4005号』1977年5月14日発行、84頁
  2. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、378頁
  3. ^ 初等社
  4. ^ 「94年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1994年11月3日朝刊
先代
大島隆夫
国税庁東京国税局直税部長
1960年 - 1962年
次代
植松守雄
先代
柿沼幸一郎
国税庁東京国税局総務部長
1961年
次代
戸山孝一
先代
佐藤吉男
国税庁大阪国税局長
1969年 - 1971年
次代
丸山英人
先代
高橋英明
経済企画庁長官官房長
1973年 - 1974年
次代
長岡實
先代
竹内道雄
大蔵省理財局長
1974年 - 1975年
次代
長岡實
先代
竹内道雄
大蔵省主計局長
1975年 - 1977年
次代
松川道哉
先代
渡邊孝友
日本開発銀行総裁
第7代:1981年 - 1987年
次代
高橋元


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