史前・古代・中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:10 UTC 版)
ヴィボルグやプリオゼルスク、ラドガ湖のコネヴェット島の教会などとは違い、19世紀の遅くから多くの古代の後がこの地域に見つかるようになった。いくつもの中石器時代、新石器時代、銅器時代、青銅器時代の古代の遺物が地峡全体に残っている。カレリアの東部では中世の建物が特に多い。このあたりには10世紀から15世紀にかけてのヴオクシの入江の北部やプリオゼルスキー近郊でカレリア人の墓が多く見られ、金属片や陶器片も発掘される。 スホドルスコイエ湖の南岸では小さないくつもの墓墳が見つかっている。多くの大きい儀式石も見つかっており、ところどころにケアンも見つかる。幾つかの田舎の集落の残余物にも石の儀式的遺構が見つかる。チウリ村の近郊の、北部ヴオクシの入江でも発掘作業が行われている。幾つかの銀の装飾品のほか中世のアラビアやヨーロッパの硬貨も見つかる。これらのものが見つかる背景には、当時ヴオクシ川はヴィボルグ湾に注いでおり、ボルガ川を航路に使いスカンディナヴィアと東ローマ帝国を結ぶ商業圏の中にあったからだと考えられている。 フィンランド人の祖先は、カレリア地峡に紀元前8500年くらいから住み着き始めたのではないかといわれている。 11世紀、スウェーデンとノヴゴロド共和国はフィンランドの領域で、領有合戦を始めた。1323年には二国のセストラ川、ヴォルチャ川をはさんだ国境にノーテブルクの町ができた。
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