台湾文化協会の分裂とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 台湾文化協会の分裂の意味・解説 

台湾文化協会の分裂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 09:09 UTC 版)

台湾民衆党」の記事における「台湾文化協会の分裂」の解説

台湾民族運動家として知られる蔣渭水林献堂蔡培火などは当初台湾文化協会拠点として民族運動行っていた。しかし台湾文化協会内では無産主義左派台頭し遂に1927年1月3日理事会連温卿中心となって左派主導権握ったこのため穏健派幹部文化協会脱退する至った同年2月穏健派の旧幹部会合開き台湾文化協会と関係の深い新聞台湾民報』から無産主義左派追放することや、自ら新たに政治結社造ることを協議した同年3月植民地自治論者東京帝大法学部教授矢内原忠雄訪台したことも追い風となり、まず5月に「台政革新会」の設立が謀られ、その後内部での議論警察介入経て5月29日に「台湾民党」が新党として発足した。しかしこれは6月3日警察により解散させられてしまう。台湾民党側は更に協議し、「民本政治」「合理的な経済組織建設」「不合理な社会制度撤廃」を綱領の軸にして再結党試みた。これに対して警察蔣渭水新党から排除することを要求し新党内部での紛糾の末、蔣渭水排除しない形で7月10日に「台湾民衆党」として結党されるに至った台湾総督府側は、台湾民族運動穏健派弾圧してかえって彼らの運動地下化させるよりは、監視の下で運動認める方が統制が容易である、という理由から台湾民衆党認可したまた、台湾総督府側は将来台湾民衆党内部対立分裂することを見越していたともいわれる台湾民衆党台湾総督府から認可されたことにより、従来総督府により台湾発禁とされていた『台湾民報』は党機関紙として台湾での発行許可された。

※この「台湾文化協会の分裂」の解説は、「台湾民衆党」の解説の一部です。
「台湾文化協会の分裂」を含む「台湾民衆党」の記事については、「台湾民衆党」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「台湾文化協会の分裂」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「台湾文化協会の分裂」の関連用語

台湾文化協会の分裂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



台湾文化協会の分裂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの台湾民衆党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS