台湾旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 21:57 UTC 版)
1931年(昭和6年)12月2日に、中田は吉川稔を同伴して台湾に向けて出発した。神戸で集会をした後に、門司港から海路で、基隆に付き、台北に行き、ラジオで「植民地の宗教」と題する放送をした。大稲程台湾人教会で説教して、12月7日から北投温泉で教役者会をした頃から激しい神経痛を覚えて台南から引き返し、桑扶丸で門司を経て東京に帰った。 1932年(昭和7年)になってもあまり旅行はできなくなり、静養した。検査を受けて、胆石病であると判明した。その後、中田は「難病よりいやさる」との文を発表して、トラホーム、肺膿よう、赤痢、リューマチ、動脈硬化、肋間神経痛、食道瘤より癒されたことを証した。2月10日の聖別会では説教できるまでになった。
※この「台湾旅行」の解説は、「中田重治」の解説の一部です。
「台湾旅行」を含む「中田重治」の記事については、「中田重治」の概要を参照ください。
- 台湾旅行のページへのリンク