台湾新幹線への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 04:27 UTC 版)
台湾で高速鉄道が導入される際、ドイツの機関車とフランスの列車を入れることがほぼ決まりかけたが、許は、「機関車も列車も日本の新幹線を導入すべき」との論陣を張った。日本の新幹線のトンネルの岩盤が崩落して列車の天井に落下する事故が起こり、安全性に対する批判が出た際には、「岩盤の崩落はトンネルの問題。新幹線は岩盤が落下しても壊れない丈夫な列車」と、事故を逆手にとって擁護の発言を行った。その後、日本製新幹線は、李登輝総統(当時)もこれを強く推進したため逆転採用となった。 1972年に日本の山陽新幹線が開通し、大阪―岡山間を走った際には、試乗をおこなっている。
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