古代文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 01:37 UTC 版)
アントニウス・ディオゲネスによるギリシア語の小説は西暦150年かそれ以前に書かれたもので、『トゥーレの不思議』と題されている。ブリティッシュコロンビア大学の名誉教授ジェラルド・N・サンディはフォティオスの9世紀の著書を翻訳する際、導入部で「トゥーレとは恐らくアイルランドのことだろう」と推測している。 5世紀の初め、クラウディアヌスは彼の詩『オノリウス皇帝の第4任期』VIII巻で、テオドシウス1世の征服した土地について熱狂的に語り、次のように詠っている。「オーカデス(オークニー諸島)はサクソンの虐殺で赤く染まった」「トゥーレはピクト人の血で温かくなった」「氷に閉ざされたヒベルニア(アイルランド)は殺害されたスコットランド人の山で濡れた」これによれば、トゥーレがスコットランドだったことになる。しかし第2の詩『ルフィヌスに反して』(Second Poem)で、クラウディアヌスは「トゥーレは北極星の下、氷に閉ざされている」と書いている。時間と共に、「世界」は東をインド、西をトゥーレに挟まれていると考えられるようになったことが、ボエティウスの『哲学の慰め』(c. AD 524)に著されている。 インドの岸まで、あなたの与える法の前に地球が震えるとしても、トゥーレが世界の最果てであなたの尽力にひざまづくとしても、汝らの黒い不安を追いやることができぬのなら、不平の種を飛ばし去ることができぬのなら、真の力は汝のものではない。 ローマの歴史家タキトゥス(55年頃 - 120年頃)は、義理の父アグリコラの人生を年代順に記録した著書の中で、ブリテンは島であることをローマ人がどのように知ったかを説明している。アグリコラはその指揮官であった。彼はローマの船がブリテンの周囲を航行し、オークニー諸島を発見したと語っている。また彼は、船の乗組員はトゥーレさえ見たが、冬が間近だったので、そこへ行くことも探検することも禁止されたとも述べている。
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