古代オリエント文明とは? わかりやすく解説

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古代オリエント文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/31 06:27 UTC 版)

トイレ遺構」の記事における「古代オリエント文明」の解説

テル・アスマルはイラク東部バグダード北東約60kmの位置にあるシュメール都市エシュヌンナ遺跡である。ここで発掘されアッカド王朝時代(前2200年頃)の宮殿から、いま我々が知ることのできる世界最古トイレ発見されている。この宮殿は、トイレ浴室の数が多く質的にきわめて充実している。少なくとも6ヶ所のトイレ、5ヶ所の浴室があり、トイレ煉瓦を「コ」の字状の椅子形に積み上げた便器設けられ腰掛け式の水洗式トイレであった。その廃水宮殿東壁に沿ってつくられた管に流れ込む仕組みになっている。管は地下埋められアーチ状の覆い掛けられており、その中は上部通路があって掃除のために歩けるようになっていた。 宮殿100年後、前2100年頃の一般住宅からもトイレ発見されている。こちらも煉瓦便器で、下を流れ排泄物焼き物つくられ配水管通って下水道からチグリス川支流ディヤラ川へと流れる「高野山水洗式トイレであった。なお、テル・アスマルのトイレ遺構のようすはトイレ研究史上記念すべき著作である『厠考』(李家正文著)にも写真入り紹介されている。 シュメール都市中でも極めて重要な都市遺跡ウルでもトイレ遺構(年不詳)が見つかっている。テル・アスマルは下水道直結し水洗トイレであるが、ウル検出のものは毛細管現象利用した「非直結トイレであったテル・エル・アマルナは、中エジプトナイル川東岸所在するエジプト第18王朝末のアメンヘテプ4世都市遺跡である。テーベから遷都されてからツタンカーメン王による放棄までわずか15年間の首都であったこの頃新王国エジプトでは、家の前や路上ゴミ廃棄した用便済ましたりすることが一般的だったため、王は住居トイレと炉を設置するう触れを出した。そこで一般住宅にもトイレ設けられることとなった。前1350年頃の住宅から発見されトイレは、鍵穴状の切り込みがある石灰岩製の便座煉瓦支えの上載っていた。切り込みの下には壺が置かれ排泄物この中溜められ肥料として用いられたものと考えられる(壺形汲取式トイレ)。

※この「古代オリエント文明」の解説は、「トイレ遺構」の解説の一部です。
「古代オリエント文明」を含む「トイレ遺構」の記事については、「トイレ遺構」の概要を参照ください。

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