原因機雷の来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 15:24 UTC 版)
機雷が爆発により消失したことや、警戒に当たった巡査が殉職したこともあり、事故の原因となった機雷の素性は特定できなかった。 太平洋戦争末期、新潟を含む日本各地には、アメリカ軍の「飢餓作戦」と呼ばれる機雷封鎖によりドラム缶型のMk25/36機雷多数が空中投下されており、アメリカ軍の機雷と推定する見方が多い。他方、日本海軍が防御用に敷設したまま掃海不能となっていた大深度係維式機雷が、老朽化のため係留ケーブルが切断して浮上流出するようになっており、本件の機雷もその一つとする見方がある。さらに、1949年には、ソビエト連邦製の係維式機雷が同様に浮遊することが増え、旧日本海軍のものよりも多くなりつつあった。 作業用の縄を取りに行って難を逃れた女性が後日残した回想文には『色は赤黒く、形はドラム缶に似て、両端には「持つところ」がつき、中ほどには、時計のメーターのようなものが突き出ていて、メーターの針がゆれているのが見られた』とある。漂着の少し前に洋上で目撃した漁師の証言では『直径1メートルくらいの硫酸がめのような卵形。4箇所に持つところがあり黒光りしていた』という。
※この「原因機雷の来歴」の解説は、「名立機雷爆発事件」の解説の一部です。
「原因機雷の来歴」を含む「名立機雷爆発事件」の記事については、「名立機雷爆発事件」の概要を参照ください。
- 原因機雷の来歴のページへのリンク