名立機雷爆発事件
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名立機雷爆発事件(なだちきらいばくはつじけん)は、1949年、新潟県西頸城郡名立町[1](現上越市名立区)に漂着した機雷の爆発によって、多くの小中学生を含む63人が死亡した事件である。
- ^ 山間部の名立村と合併する前の名立町。
- ^ 後の名立町町長、岡崎信一。巡査の要請に応じ、役場へ電話連絡のため近くの新聞店に居たが、用件を伝え終えようとしたところで爆発音を聞く。
- ^ 巡査が機雷に近づいた目的は不明。新聞紙面等、要約された文献には「機雷を岩場から押し返すため」と記載されていることが多い。
- ^ 生存者の女性が家に入る前に見た、ズボンの裾をまくるところが巡査の最後の姿となった。爆発後の遺体が海に浮いていたため海中に歩みだしていたことは確かであるが、機雷に触れたかどうかは定かではない。
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、72頁。ISBN 9784816922749。
- ^ この破片は宗龍寺に保管されている。
- ^ 平和の塔
- ^ 名立町史
- ^ 新潟県大百科事典 下巻
- ^ 新潟日報でみる ふるさとの100年
- ^ a b 海上幕僚監部防衛部(編) 『航路啓開史 Archived 2013年1月31日, at the Wayback Machine.』 海上幕僚幹部防衛部、1961年、改版87頁。
- ^ 「終戦後機雷爆発、児童ら63人死亡 悲劇証言、DVDに」 asahi.com マイタウン新潟 2010年12月6日
- ^ 「名立機雷爆発事件題材に演劇」 新潟日報 2011年2月24日
- ^ 「名立機雷爆発事件、風化させぬ 住民ら決意新たに」 朝日新聞DIGITAL 2014年3月31日
- 1 名立機雷爆発事件とは
- 2 名立機雷爆発事件の概要
- 3 原因機雷の来歴
- 4 参考文献
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