原告父子のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 22:49 UTC 版)
「マイケル・ジャクソンの1993年の性的虐待疑惑」の記事における「原告父子のその後」の解説
この訴訟で無理やり性的虐待を証言させられた少年ジョーディ・チャンドラー(Jordy Chandler,1980年1月11日 - )は、2005年8月5日に児童虐待されたとして父親のエヴァンを訴えた。ニュージャージー州の法廷では「彼は頭を後ろから殴られていた……ダンベルの重りで……そして、催涙性もしくは刺激性のスプレーを目に吹きかけられ、そして窒息させられそうになっていた(struck him on the head from behind with ... (dumbbell) weight ... sprayed his eyes with Mace or pepper spray, and tried to choke him)」と述べられた。さらにそれでもまとまらず2006年9月5日に控訴した。そのためこの訴訟は家庭裁判所から一般法廷に移ることになった。 2009年6月25日にマイケルは死去。死後に少年が米タブロイド紙に「僕は父に嘘を言わされた。マイケルごめんなさい。」と語ったと掲載されたが、実際の本人のコメントなのかどうかは不明。少年はこの件に関して公式にコメントしていないとされている。 2009年11月初旬、少年の父親エヴァンが、アパートの管理人により自宅のベッドの上で死亡しているのが発見された。頭部側面に拳銃による銃創があり、発見時に拳銃を手に持ったままの状態だったことからジャージー市警は自殺と断定。市警のスポークスマンより「自殺と断定した。死亡時に複数の処方薬が発見され、重篤な病だったと思われる。遺書などは見つかっていない」と公式に発表した。エヴァンの担当医は警察に対して「予約した時間に来なかったため、アパートの管理人に様子を見に行ってもらい、死亡しているのが発見された」と語った。遺書はなく自殺の原因などは不明。彼は再婚し2児をもうけていたが離婚し、子供たちとも疎遠になっていた。またマイケルのファンからの反発を避けるため整形手術を行っており、その容姿は以前とは全く異なっていたと伝えられた。父親が少年に対して起こしていた虐待裁判は少年が父親に対して年間約1億5千万円の送金を数年に渡り行うことで決着し、これより前に不起訴となっていた。
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