即席麺「発明」への疑義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:20 UTC 版)
しかし、以上のような、安藤百福が即席麺を「発明」した、という見解には疑問が寄せられている。 安藤の出身地である台湾では、1946年には、「雞絲麵 (鶏糸麺、ケーシーメン、ジースーミエン)」と呼ばれる、油で麺を揚げて保存し、お湯を注いで食べる鶏出汁スープの麺が考案されているほか、台南では、ちぢれ麺である「意麺(英語版)(イーメン)」を油で揚げた上で蒸すなどして食す食べ方が大正時代から存在しており、こうした油揚げの即席麺は台湾では広く定着し、いずれも現在まで食されている。 さらに、即席麺を日本で商品化したのも安藤が最初ではなかった。1958年春、チキンラーメンが発売される以前に、安藤と同じく台湾出身の張國文が即席麺「長寿麺」を発売した。これは、お湯を注ぐだけでスープに入った麺が食べられる即席ラーメンであり、南極観測隊にも採用された。張は同年12月、安藤が特許出願を行うよりやや早い時期に、味付乾麺の特許を出願した。また、同年、チキンラーメンの発売より前に、台湾出身で大和通商社長の陳栄泰が即席「ケーシーメン」を東京の百貨店で販売しており、一説には、陳のケーシーメンに興味を持った安藤が代理店の株主となり、日本人の口に合うように改良したものがチキンラーメンであるとも言われている。 即席麺の特許を巡っては、安藤、張に加えて、「鶏糸麺」の特許を出願した台湾人もおり、特許を巡って三つ巴の争いとなった。しかし、張の特許申請が認められる直前に、日清食品は張の特許を2300万円(現在の約3億円)で買い取った。以上のような歴史的経緯から、ジャーナリストの野嶋剛は、「台湾出身者が故郷ですでに普及していた油揚げ乾燥麺の技法を日本に持ちこみ、事業として成功させるべくしのぎを削ったなかに、安藤氏も張さんもいた、という仮説」を提唱している。
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