博物館内部の装飾とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 博物館内部の装飾の意味・解説 

博物館内部の装飾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 16:42 UTC 版)

アヤソフィア」の記事における「博物館内部の装飾」の解説

アヤソフィア博物館内装は、ほぼモスク時代のものを踏襲し2階までの壁面多色大理石と金モザイクで、その上部は漆喰飾られている。アーケード大理石象眼細工覆われ古代建築から剥ぎ取られ大理石円柱によって支えられているが、 柱頭部分新規に製作されアカンサス葉の模様のある変形イオニア式で、ユスティニアヌスモノグラム刻まれている。つまり、この部分創建当時のものであるプロコピオスによると、創建当時ドームには巨大な十字架画かれアプスには図像配されていたらしい。このモザイクは、円蓋崩落や、726年から843年聖像破壊運動によって破壊されたが、プロコピオスその他の同時代人びと記録には、ドーム十字架以外についての記録がないため、そもそも創建当時人物などモザイクはなかったのではないか考えられている。聖像破壊運動の後は、様々なモザイク画作成され今日その一部を見ることができる。 1453年アヤソフィアイスラム教モスクとなったが、オスマン帝国モザイク破壊することはせず、漆喰塗り潰していた。しかし、1847年から1849年のフォッサーティの改修作業過程壁面調査行われモザイク感銘受けたアブデュルメジト1世の命により、漆喰が剥がされ、本格的な調査が行われた。当時はまだアヤソフィアモスクとして利用されていたため、この調査記録がまとめられた後、堂内壁面は再び漆喰塗られた。 トルコ革命後、1931年アメリカ合衆国のトーマス・ウィットモア主宰ビザンティン研究所モザイク調査行い1935年には、トルコ共和国政府の手アヤソフィア無宗教文化財として公開された。その後ビザンティン研究所1950年代までモザイク調査漆喰除去行った20世紀後半には歴史的建造物の保存に力が注がれるようになったアヤソフィア内部各所傷み見られ内部円柱傾きドーム歪みなどが発見されている。これらの主な原因短期間完成させた工事よるもので、レンガの間に盛られモルタルがほぼレンガ同じくらい厚く、しかも充分な乾燥待たずどんどん積み上げられたために長い間クリープ現象進んだものと考えられる。それでも大規模な崩壊起きなかった事は、6世紀設計優れていた証左になる。1990年からトルコ日本国際共同学術調査開始された。

※この「博物館内部の装飾」の解説は、「アヤソフィア」の解説の一部です。
「博物館内部の装飾」を含む「アヤソフィア」の記事については、「アヤソフィア」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「博物館内部の装飾」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「博物館内部の装飾」の関連用語

博物館内部の装飾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



博物館内部の装飾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアヤソフィア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS