南華文芸・北新書局事件
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「中国におけるイスラームの歴史」の記事における「南華文芸・北新書局事件」の解説
詳細は「南華文芸・北新書局事件」を参照 1932年、上海の文芸雑誌である『南華文芸』に「回教徒はなぜ豚肉を食べないか」というエッセイが掲載された。文章全体は漢回対立を憂慮する内容であったが、回民蔑視の例として挙げられた「ムスリムが豚肉を食べないのは祖先が豚だからである」という内容の説話がムスリムの怒りを買った。上海のムスリムは「全体回教徒大会」を開いて対応を協議し、陳謝や在庫の焼却処分などを求めた。『南華文芸』はこれに応じ、上海のムスリムもこれに満足したためそのまま鎮静化しようとしていたが、北京のムスリムはこれに満足せず、中国回教倶進会と北京回民公会が「華北回民護教団」を結成し、北京で5,000人規模のデモを行った後に南京の政府に対しての請願団を派遣した。請願団が南京に到着した当日、上海の出版社である「北新書局」が出版した『小猪八戒』に激怒した数十人のムスリムが北新書局の営業部を襲撃した。請願団と中華民国政府は協議の末、回民を重んじて宗教を擁護する旨の通例の発布、『南華文芸』の停刊と北新書局の閉鎖、また、主要都市の新聞各紙に謝罪文を掲載させ、教科書における「イスラームは武力で広まった暴力的な宗教」という偏見の取り締まりで合意した。これらの合意は国民党・国民政府としては最大限の譲歩と配慮であった。この一連の抗議活動の中で北京や南京をはじめ、中国西北のムスリム軍人や新疆のウイグル人など、中国各地のムスリムが交流し、南京では統一組織の設立も協議された。この事件はムスリムの間では「華南護教案」と呼ばれている。その後、1933年には北京の『世界日報』と『公民報』という新聞がウイグル人のイスラームに基づく習慣を侮辱する内容の文章を掲載したが、両方とも停刊が命じられた。
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