十村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 01:20 UTC 版)
とむら 十村 |
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廃止日 | 1954年3月1日 |
廃止理由 | 編入合併 十村 → 三方町 |
現在の自治体 | 三方上中郡若狭町 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 中部地方、北陸地方 |
都道府県 | 福井県 |
郡 | 三方郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 3,263人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 福井県 三方郡三方町 遠敷郡上中町 滋賀県 高島郡三谷村 |
十村役場 | |
所在地 | 福井県三方郡十村 |
座標 | 北緯35度30分30秒 東経135度54分03秒 / 北緯35.50825度 東経135.90081度座標: 北緯35度30分30秒 東経135度54分03秒 / 北緯35.50825度 東経135.90081度 |
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十村(とむら)は福井県三方郡にあった村。現在の三方上中郡若狭町の中部にあたる。
地理
- 山岳 : 三十三間山
- 河川 : ハス川
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、田上村、黒田村、井崎村、岩屋村、横渡村、能登野村、上野村、成願寺村、倉見村及び白屋村の区域をもって、十村が発足する。
- 1954年(昭和29年)3月1日 - 三方町に編入する。
交通
鉄道路線
道路
参考文献
- 角川日本地名大辞典 18 福井県
関連項目
十村
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十村制のために特権を付与された農民を十村と称する。彼らは、旧来の有力豪農(園田道閑)や帰農した旧武家(時国家、北村家や岡部家)など藩主から信任を得て任命された場合が多く、一向一揆の監視対策も兼ね、所属宗旨としては真言宗や禅宗に属する場合がほとんどである。十村は、郡奉行あるいは改作奉行の下位、肝煎や庄屋の上位に位置する。初めは10カ村ほどを束ねる役割を担っていたため「十村」と称したが、後には数十カ村を束ねる十村も現れた。十村は、上位から、組無御扶持人十村、組持御扶持人十村、平十村に区分され、さらに各区分が三分される計九段階の序列があった。十村には役料として支配下の15歳から60歳の男子から年に米二升が徴収され充てられた。世襲ではないものの、基本的には村を束ねる豪農が任命されるため、事実上世襲に近い状態であった。一人の十村が管轄する範囲を「組」と呼び当初は十村の名前を冠して呼んでいたが後に地名を冠するようになった。
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