北有社の経営請負とは? わかりやすく解説

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北有社の経営請負

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 13:44 UTC 版)

官営幌内鉄道」の記事における「北有社の経営請負」の解説

幌内鉄道経営は、決して順調ではなかった。1880年明治13年)から1885年明治18年)までの6年度のうち、収益のあったのはわずか2年度のみで、札幌 - 幌内開業後の営業係数200近いという有様であった。これには、石炭輸送無賃であったというのが大きく影響している。1886年明治19年1月26日鉄道炭鉱工部省から北海道庁移管された。北海道庁開拓使工部省のような潤沢な予算を持たなかったため、翌1887年明治20年4月炭砿鉄道事務所廃止して炭鉱鉄道分離し北海道鉄道事務所とした。それに伴い事務所札幌から手宮移している。 同年12月4月まで炭砿鉄道事務所長のにあった村田堤から、幌内鉄道運営請け負い未成線となっていた幾春別線開業させたいとの出願があった。村田は、黒田腹心一人である。これは欠損続き幌内鉄道村田引受けさせようとしたのか、村田が自ら出願したのかは不明であるが、北海道庁長官の上申書には、「石炭販路拡大したため、幌内石炭だけでは足りなくなったので、未成線の幾春別線建設して幾春別炭鉱開発したいのだが、鉄道欠損によりその費用を出すのは不可能である。しかし、これを民間請け負わせれば事務簡素化され収支償い賃貸料有益な事業活用できる。」旨が記されている。 1888年明治21年3月北海道庁村田出願認可し村田は北有社(ほくゆうしゃ)という団体設立して幌内鉄道運営請け負うこととなった請負期間は、1888年明治21年4月1日から15年間とされ、年間借料は5,000円とされた。北有社は設備保守料を負担し運賃や運転回数は北海道庁定めた運行規程によることとした。これにより業績回復し1888年明治21年)度の営業係数70程度となった幌内太(後の三笠) - 幾春別間は、1886年明治19年5月着工しいたものの、石炭価格低下により工事中断されていたが、村田請負直後1888年明治21年5月工事再開し同年12月10日開業させた。同線は建設費節約したため、起伏の多い急勾配介在する線形となった1889年明治22年12月11日、北有社が私鉄北海道炭礦鉄道事業譲渡し、官営幌内鉄道消滅手宮 - 幌内間および幌内太 - 幾春別間鉄道路線北海道炭礦鉄道移管され、同社幌内線となった

※この「北有社の経営請負」の解説は、「官営幌内鉄道」の解説の一部です。
「北有社の経営請負」を含む「官営幌内鉄道」の記事については、「官営幌内鉄道」の概要を参照ください。

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