北京政府時期とは? わかりやすく解説

北京政府時期(1912年 - 1928年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 22:45 UTC 版)

蒙古」の記事における「北京政府時期(1912年 - 1928年)」の解説

中華民国実効支配及んだ南モンゴル内蒙古)では、モンゴル人に対して清朝期以来の盟旗制が引き続き行われたが、漢人多数入植した地域中心に州県制行われ、また将来の省制施行への前段階としていくつかに分割され3つの特別区隣接する省へ併合される地域とに分割された。 フルンボイル盟(呼倫貝爾盟)→黒竜江省併合 ジェリム盟哲里木盟)→吉林省併合 ジョーオダ盟(昭烏達盟)→熱河特別区 チャハル盟察哈爾盟)→察哈爾特別区 ウランチャブ盟(烏蘭察布盟)・イフ・ジョー盟(伊克昭盟)→綏遠特別区 3特別区では、様々な職掌司る○○庁長」が置かれたが、特別区長官都統」、副長官鎮守使」、「道尹」など清朝以来官職名引き継ぐ呼称使用されていた。 ジェプツンタンパ政権実効支配する旧外蒙古区域に対しても、「中国帰属する証」として、清朝時代官職名をほとんどそのまま受け継いだ以下のようなポスト維持され続けた庫倫事大臣(1915年 - 1920年)、庫倫参賛(1920年 - 1922年) - 現在のウランバートル 科布多参賛(1912年1920年 - 1922年)、科布多佐理員(1915年 - 1920年) 烏理雅蘇台将軍1912年)、烏理雅蘇台佐理員(1915年 - 1920年)、烏理雅蘇台参賛(1920年 - 1922年) - ウリャスタイ 恰克図佐理員(1915年 - 1920年)、恰克図民政長(1920年 - 1922年) 唐努烏海参賛(1919年 - 1922年) - タンヌ・ウリャンカイ 阿爾泰辦事大臣(1912年 - 1919年)→新疆省移管、阿山道尹と改称 塔爾巴哈台泰参賛(1912年 - 1916年)→新疆省移管塔城道尹と改称 1919年 - 1922年にかけて、民国政府が旧・外蒙古軍事制圧し一時的に実効支配行使した時期があった。1920年における各ポスト改称はこれに対応したのである。この時の行政・軍事を握る徐樹錚帯びた3職の名が「西北籌備辺使 兼 西北辺防司令 督辦外蒙善後事宜」である。後任陳毅李垣らの職名は「庫烏科唐鎮撫使」である。これらの諸ポスト1922年モンゴル人民革命党政権による中国軍事・行政機関一掃に伴い名目上後任任命されることなく消滅した

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