北京政府時期(1912年 - 1928年)
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「蒙古」の記事における「北京政府時期(1912年 - 1928年)」の解説
中華民国の実効支配が及んだ南モンゴル(内蒙古)では、モンゴル人に対しては清朝期以来の盟旗制が引き続き行われたが、漢人が多数入植した地域を中心に州県制も行われ、また将来の省制施行への前段階としていくつかに分割され、3つの特別区と隣接する省へ併合される地域とに分割された。 フルンボイル盟(呼倫貝爾盟)→黒竜江省に併合 ジェリム盟(哲里木盟)→吉林省に併合 ジョーオダ盟(昭烏達盟)→熱河特別区 チャハル盟(察哈爾盟)→察哈爾特別区 ウランチャブ盟(烏蘭察布盟)・イフ・ジョー盟(伊克昭盟)→綏遠特別区 3特別区では、様々な職掌を司る「○○庁長」が置かれたが、特別区の長官「都統」、副長官「鎮守使」、「道尹」など清朝以来の官職名を引き継ぐ呼称が使用されていた。 ジェプツンタンパ政権が実効支配する旧外蒙古の区域に対しても、「中国に帰属する証」として、清朝時代の官職名をほとんどそのまま受け継いだ以下のようなポストが維持され続けた。 庫倫辦事大臣(1915年 - 1920年)、庫倫参賛(1920年 - 1922年) - 現在のウランバートル 科布多参賛(1912年、1920年 - 1922年)、科布多佐理員(1915年 - 1920年) 烏理雅蘇台将軍(1912年)、烏理雅蘇台佐理員(1915年 - 1920年)、烏理雅蘇台参賛(1920年 - 1922年) - ウリャスタイ 恰克図佐理員(1915年 - 1920年)、恰克図民政長(1920年 - 1922年) 唐努烏梁海参賛(1919年 - 1922年) - タンヌ・ウリャンカイ 阿爾泰辦事大臣(1912年 - 1919年)→新疆省に移管、阿山道尹と改称 塔爾巴哈台泰参賛(1912年 - 1916年)→新疆省に移管、塔城道尹と改称 1919年 - 1922年にかけて、民国政府が旧・外蒙古を軍事制圧し、一時的に実効支配権を行使した時期があった。1920年における各ポストの改称はこれに対応したものである。この時の行政・軍事を握る徐樹錚が帯びた3職の名が「西北籌備辺使 兼 西北辺防司令 督辦外蒙善後事宜」である。後任の陳毅、李垣らの職名は「庫烏科唐鎮撫使」である。これらの諸ポストは1922年、モンゴル人民革命党政権による中国の軍事・行政機関の一掃に伴い、名目上の後任が任命されることなく消滅した。
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