北京政府初期の活動
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中華民国成立後の1912年(民国元年)10月、商震は山東第2混成旅旅長に任ぜられた。1913年(民国2年)5月、北京政府陸軍部顧問として北京に召還されたが、二次革命(第二革命)への参与を疑われ、京畿軍政執法処長の陸建章に逮捕されてしまう。このとき、陸建章と縁戚関係にあった馮玉祥の口利きがあり、幸いにして釈放された。 1914年(民国3年)2月、商震は陸建章から河南省倉庫総弁に任ぜられる。同年、陸建章が白朗鎮圧のために陝西省に入ると、商震も呼び出され、陝北衛戍司令部参謀長に起用された。1915年(民国4年)3月には、陝西省第1旅旅長兼陝北衛戍司令に昇進している。1916年(民国5年)6月、護国戦争で袁世凱に味方した陸建章が失脚すると、商震は山西督軍閻錫山を頼り、その下で団長に起用された。
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