北京政府から国民革命軍へ
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1909年(宣統元年)に江南陸師学堂第4期工兵科を卒業する。辛亥革命勃発後は浙江省革命派の支隊参軍官に任ぜられ、後に江浙聯軍総司令部工兵部長となる。中華民国成立後の1913年(民国2年)に黄興が南京で第二革命(二次革命)を起こすと、方策は司令部中校参謀を務めている。二次革命失敗後の翌1914年(民国3年)、方は浙江省に戻り浙軍第12旅参謀に任ぜられた。1916年(民国5年)、浙軍第7団中校団附となり、同年中に北京の陸軍大学第5期で学ぶ。1919年(民国8年)12月に卒業、浙軍に復帰し、1925年(民国14年)には第12団団長に昇進した。 1926年(民国15年)、方策は国民革命軍に加入し、第26軍の団長に任ぜられて北伐に従軍した。翌1927年(民国16年)に第26軍第2師副師長に昇進し、同年8月には同師師長に就任、さらに11月には第26軍参謀長に移っている。1928年(民国17年)1月、第26軍副軍長も兼ね、まもなく軍長代理として第2期北伐に参戦した。その後、軍の再編が実施され、第26軍は第6師に縮小、それにより方は第6師副師長(師長代理)に転じた。その後は京滬衛戍司令も務め、1929年(民国18年)に第45師師長に昇進している。1930年(民国19年)12月、浙江省政府委員兼清郷督弁に任ぜられた。
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