北京オリンピックトリプルクラウン達成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 09:32 UTC 版)
「クリス・ホイ」の記事における「北京オリンピックトリプルクラウン達成」の解説
上述の2008年の世界選手権における強さは、北京オリンピックでも発揮された。まず、8月15日に行われたチームスプリントに出場。ジェミー・スタッフ(第1走)、ジェイソン・ケニー(第2走)、ホイ(第3走)で挑んだイギリスチームは、スタッフが最初の250mを17秒198という、これまでいまだ誰もマークしていなかったタイムをたたき出したことが要因となり、42秒950のタイムで予選1位通過。世界選手権同種目3連覇中で、予選2位のフランスに0.591秒という「大差」をつけた。その後、順位決定予備戦でアメリカを破ったが、ここでも勝ち上がった4チーム中、トップタイム(43秒034)をマークし、同2位のタイムをマークしたフランスと決勝で対戦。その決勝戦において、スタッフが17秒136で最初の250mを走破し、フランス第1走のグレゴリー・ボジェに0.241秒の差をつけた。このリードをケニー、ホイがさらに広げ、43秒128のタイムでゴール。フランスに0.523秒の差をつけ、ホイはまず「一冠」を手中にした。 最も金メダルが困難と見られたチームスプリントを制したホイは、翌8月16日のケイリンに出場。ホイにとってみれば、最も金メダルの可能性が高い種目であったが、予選、準決勝といずれも圧勝。加えて最大のライバルとみられたオランダのテオ・ボスが準決勝で落車し、その後の再レースを棄権したことで、決勝の戦前から、金メダル確実と見られていた。決勝では、道中最後方に位置していた永井清史が残りあと3周付近より上昇。その後一気に先頭に押し上げ、ホイの番手に入り込むという飛びつき策に出た。ホイは残りあと1周半地点よりスパートをかけ、これに永井がすかさず反応して2番手をキープしたが、その後ホイの加速についていけなくなり、逆に千切られてしまった。これでホイは完全に独走状態となり、最後は2着に入った同胞のロス・エドガーに3~4車身程の差をつけ、二冠を達成した。 8月17日から3日間に亘って行われたスプリント。予選の200mフライングタイムトライアルにおいて、9秒815のオリンピック新記録をマークしトップタイム。その後、デニス・ドミトリエフ、渡邉一成、アジズルハスニ・アワンといった相手を問題なく撃破。準決勝で対戦したミカエル・ブルガンもストレートで破り、決勝はチームスプリントで共に金メダルを分かち合ったジェイソン・ケニーと対戦したが、1本目10秒228、2本目10秒216のハロンラップタイムをマークして完勝。スプリントでも、全てストレート勝ちを収め、ついに三冠を達成した。 2009年 UCIトラックワールドカップ2009-2010コペンハーゲン - チームスプリント 優勝。しかしその後のケイリンで落車したため、同年開催の世界選手権は欠場を余儀なくされてしまった。 イギリス選手権チームスプリント 優勝 1㎞TT 優勝 ケイリン 優勝
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