加茂神社 (黒潮町)とは? わかりやすく解説

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加茂神社 (黒潮町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 21:23 UTC 版)

加茂神社

社前
所在地 高知県幡多郡黒潮町入野
位置 北緯33度1分21.94秒 東経133度0分52.54秒 / 北緯33.0227611度 東経133.0145944度 / 33.0227611; 133.0145944 (加茂神社 (黒潮町))座標: 北緯33度1分21.94秒 東経133度0分52.54秒 / 北緯33.0227611度 東経133.0145944度 / 33.0227611; 133.0145944 (加茂神社 (黒潮町))
主祭神 別雷命
社格 式内社(小)
郷社
創建 不詳
地図
加茂神社
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入野松原(国の名勝

加茂神社(かもじんじゃ、賀茂神社/加茂八幡宮/賀茂八幡宮)は、高知県幡多郡黒潮町入野にある神社式内社で、旧社格郷社

入野松原(国の名勝)の中に鎮座する、入野地域の総鎮守である。

祭神

祭神は次の通り[1][2]

祭神の異説として、『神祇志料』では味耜高日子根神[1][2]、『神社覈録』では祭神不詳、[1][2]『土佐国式社考』では大鴨積命[2]、『邉海松布』では大賀茂都美命とする[2]

歴史

創建は不詳。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳において土佐国幡多郡に「賀茂神社」と記載される式内社に比定される[3][2]

伝承では、加茂神社は元は入野本村の賀茂屋敷(加茂屋敷)に、八幡宮は早咲の八幡原にそれぞれ鎮座したが、両社は1つになり入野松原に移ったという[3][2]。『土佐国式社考』においても賀茂・八幡両社は元は本村にあったが1つになった時は不明とし[3][2]、『西浦廻見日記』でも両社が本村にあったとする[3]

中世期について、伝承では応仁1467-1468年)の頃に藤原家基が再興したという[3][2]。また天正17年(1589年)の「入野大方之郷地検帳」では、社領として入野大方郷の5村3町6反余が記される[3][2]

江戸時代に入り、宝永4年(1707年)の宝永の大地震の時には社殿が津波被害に遭っている[3][2]。『南路志』によれば浸水で社殿が浮いたが、津波が引くと社殿が元の場所に戻ったという[3]。また境内には、この時の津波の惨状を記す碑が伝世される[2]。なお、古くは臨済宗大方山長泉寺が別当寺を担っていた[2]

明治維新後、明治5年(1872年)に近代社格制度において郷社に列している[1][2]

境内

文化財

黒潮町指定文化財

  • 有形文化財
    • 賀茂八幡宮(建造物) - 1972年(昭和47年)11月3日指定[4]
  • 史跡
    • 安政津波の碑 - 1972年(昭和47年)11月3日指定[4]

脚注

  1. ^ a b c d 明治神社誌料 1912.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 賀茂神社(式内社) 1987.
  3. ^ a b c d e f g h 加茂神社(平凡社) 1983.
  4. ^ a b 「第1次黒潮町総合振興計画」 (PDF) 黒潮町、2008年、p. 76(リンクは黒潮町ホームページ)。

参考文献

関連項目

外部リンク




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