創設~消耗戦争
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「第252予備役機甲師団 (イスラエル国防軍)」の記事における「創設~消耗戦争」の解説
「消耗戦争」および「バーレブ・ライン」も参照 第252師団は1968年12月16日、当時イスラエルの占領地だったシナイ半島の防衛を担当する師団として編成された。これまでイスラエル軍は戦時にのみ臨時編成でしか師団を編成しなかったので、第252師団は常設の師団としては初めて創設された師団であり、のちに作られる師団のモデルとなるよう編成された。基幹兵力は第401機甲旅団、第14機甲旅団(ヘブライ語版)とその他砲兵部隊などの支援部隊である。初代師団長はアブラハム(ブレン)・アダン少将であった。 当時イスラエル軍はスエズ運河を対エジプト防衛線として位置づけ、東岸一帯に防御陣地「バーレブ・ライン」を構築した(発案者はアダンである)。第252師団はスエズ運河東岸に設けられたバンカー群「マオチム」や交通網などの整備と並行して「ツァンフ」(צמ"פ)(戦車部隊の訓練のこと)や旅団規模の訓練等を行った。 1969年3月、エジプト軍は東岸のイスラエル軍に対して砲撃を開始した。「消耗戦争」の開始である。このころの師団長はシュロモ(ツィック)・ラハット(英語版)少将であった。第252師団はさらなる戦闘激化を避けるためエジプト軍にさほど強く反撃できなかったが、エジプト軍の浸透を阻止した。 1970年9月、消耗戦争が終結し、1973年までシナイ半島の情勢は比較的平穏になる。 1972年に師団長となったアブラハム(アルバート)・マンドラー(英語版)少将はシナイ半島に派遣されている将兵の疎外感による士気低下の防止につとめた。
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