対エジプト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/23 20:24 UTC 版)
イスマーイール・パシャ(エジプト総督) ヨハンネス4世の支配に対抗するショワのメネリクが頼ったのはエジプトだった。この働きかけにエチオピアの諸侯の一人ウォルデ・ミカエル・ソロムンも同調し、エチオピアは内通者とエジプト軍の双方を迎え打つ必要が生まれた。この状況をほぼ一任されたのがラス・アルラであり、期待に応えて1875年にグンデトでエジプト軍を撃破し、翌1876年にはグラでエジプト軍を排除した。一方国内ではヨハンネス4世はメネリク2世の地盤であるショワ州で内乱を起こさせ、1878年に圧力を加えて屈服させる形で和平を結ぶ。これによりメネリク2世の影響力はエチオピア南部に限定され、南北に分割統治者することについて合意が成立する。このため内通者ウォルデ・ミカエル・ソロムンは孤立し、ラス・アルラの攻勢によって1879年に降伏した。
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