対インディアン政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 05:25 UTC 版)
「ジョン・クィンシー・アダムズ」の記事における「対インディアン政策」の解説
インディアン民族に対しては、アダムズは前任者のジェームズ・モンローと同様の強制移住方針を採った。これは全インディアン部族を、当時白人入植者のいなかったミシシッピ川以西の南部地域へ強制移住させ、片づけてしまおう、という政策である。 アダムズが前任者らと違っていたのは、彼は合衆国と連邦政府には、インディアン国家との連邦規定に基づくインディアン条約を守り、単にインディアンの領土を武力で合衆国に併合させるのではなく、それ相応の条件で「購入」する義務があるとした点である。 しかし、「ジョージアのクリーク族インディアンから彼らの土地を奪った詐欺的な条約を拒否し、再交渉する」というアダムズの決定は、土地を欲しがっている南部白人や西部の白人を激怒させた。彼らは野蛮人インディアンの土地を国費で購入するというアダムズの政策は生ぬるい、として激しく抵抗した。 1828年の大統領選挙では、「史上最悪の中傷合戦」が展開され、アダムズは落選。代わって大統領となったのは、インディアン虐殺で名を上げ、インディアン達をその冷酷残忍さで震え上がらせたアンドリュー・ジャクソンだった。ジャクソンはアダムズのような生ぬるい態度をとらず、問答無用でインディアンを武力で虐殺制圧し、ミシシッピ以西への強制移住を実行したのである。この政策は白人入植者から絶賛された。アダムズの対インディアン政策は白人入植者からは受け入れられないものだったのである。
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