剱沢小屋雪崩事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 05:36 UTC 版)
剱沢小屋雪崩事故(つるぎざわごやなだれじこ)は、1930年(昭和5年)1月9日に東京帝国大学スキー山岳部OBら6名が黒部川上流の剱沢沿いにある別山平の山小屋剱沢小屋で大規模な雪崩に遭い遭難した事件。参加パーティー6名全員が死亡した[1]。
注釈
- ^ 羽根田治はその後の加藤の著作『単独行』の記述から、加藤の内向的で対人関係に難のある性格に問題があった(加藤自身もそれは認めている)としつつも、窪田がエリート意識を丸出しにした発言を加藤にぶつけたことも問題視している。
- ^ 佐伯宗作も今回の事故から5年後に地獄谷で硫化水素中毒に巻き込まれて亡くなっており、この時も長兄である佐伯栄作が遺体の収容に加わっている[9]。
- ^ ただし、2020年時点の医学でも雪崩に埋没後15分以上経過すると急速に生存率が下がり、2時間以上生き残るのは困難とされており、窪田が嗜眠状態で11日間生き延びたこと自体が奇跡に属することで、志鷹の判断を責められないとする見解もある[14]。
- ^ 佐伯源次郎が剱沢小屋を建設中に道に迷って誰も登ったことのない尾根を辿っていったところ、剱岳の山頂に立ってしまったというエピソードがある。現在、その尾根は「源次郎尾根」の名前で呼ばれている[17]。
出典
- ^ 羽根田治、2020年、pp.51-82.
- ^ 羽根田、2020年、P52-53.
- ^ 『人事興信録』データベース田部隆次 (第8版 〈昭和3(1928)年7月〉)
- ^ a b 春日俊吉『山と雪の墓標 松本深志高校生徒落雷遭難の記録』有峰書店、1970年7月 pp253.
- ^ 羽根田、2020年、P53.
- ^ 羽根田、2020年、P53-63.
- ^ 羽根田、2020年、P63.
- ^ 羽根田、2020年、P63-64.
- ^ 春日俊吉「五月の雪のおとしあな(立山地獄谷)」『山の遭難譜』二見書房、1973年、P119-139.
- ^ 羽根田、2020年、P65.
- ^ 『朝日新聞』1930年1月15日付朝刊
- ^ 羽根田、2020年、P66-68.
- ^ 羽根田、2020年、P68-73.
- ^ 羽根田、2020年、P77.
- ^ 羽根田、2020年、P73-77.
- ^ 羽根田、2020年、P78-79.
- ^ 羽根田、2020年、P80.
- ^ 羽根田、2020年、P79-80.
- ^ 羽根田、2020年、P64・79.
- ^ 羽根田、2020年、P80-82.
- ^ 羽根田、2020年、P82.
- 1 剱沢小屋雪崩事故とは
- 2 剱沢小屋雪崩事故の概要
- 3 原因
- 4 脚注
- 剱沢小屋雪崩事故のページへのリンク