初演後のスキャンダル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 14:57 UTC 版)
「牧神の午後 (バレエ)」の記事における「初演後のスキャンダル」の解説
初演での観客の反応にも関わらず、翌日の新聞各紙は概ね好意的な批評記事を掲載したが、『ル・フィガロ』紙では編集長ガストン・カルメット自身の筆により、『牧神の午後』を「常軌を逸した見世物」と弾劾する記事を第1面に大きく掲載した。ディアギレフはただちに抗議の文章と、マラルメの友人であったオディオン・ルドンと、彫刻家オーギュスト・ロダンによる『牧神の午後』を擁護する文章を持って編集室に乗り込んだ。カルメットは公平を期すために、これらの文章を翌日の新聞に掲載した。この文章において、ルドンはマラルメがこの舞台を見ることができなかったことを惜しみ、ロダンはニジンスキーの演技を古代のフレスコ画や彫刻の美に喩えて賛美した。 この騒ぎのため、『牧神の午後』はパリの人々の注目を集め、その後に行われた公演のチケットは完売となった。2回目の上演からは警察が立会ったが、ニジンスキーがラストシーンの表現を若干穏やかなものに変更したこともあり、大きな騒動には至らなかった。一方、6月8日に初演されたフォーキン振付による『ダフニスとクロエ』は『牧神の午後』の話題の陰に隠れてしまい、フォーキンはこれを機にバレエ・リュスを退団した。 『牧神の午後』はこの年だけで15回上演され、12月に行われたベルリン初演も大成功であった。こうしてモダン・バレエの最初の作品とも言える『牧神の午後』は人々に受け入れられた。
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