初期の人生・経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:46 UTC 版)
「フェイ・ヴィンセント」の記事における「初期の人生・経歴」の解説
フェイ・ヴィンセントは1938年5月29日にアメリカ合衆国のコネチカット州ウォーターバリーにて出生し、アイルランド系アメリカ人の一家で育った。 ウィリアム・H・T・ブッシュ(のちの第41代アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュの弟)はホッチキス・スクール(英語版)時代の同期生である。2人は夏休み期間中に一緒に遊び、ブッシュ家の邸宅で短時間の滞在を楽しんだこともあった。その後に進学したウィリアムズ大学ではガードとしてアメリカンフットボールチームで活躍していたが、1年生の時にルームメイトのいたずらで寮の部屋の中に閉じ込められてしまい、部屋から脱出するために4階の建物の上によじ登った時に氷で滑って落下して背骨を破砕骨折・足が麻痺する怪我を負ってしまう。手術とその後のトラクション(英語版)に3か月を費やした。初期診断ではもう二度と歩けないだろうと言われたが、大学を卒業する頃には杖を必要としなくなるまでに回復した(しかし、1985年頃に関節炎を発症してからは再び杖が欠かせなくなる)。ウィリアムズ大学とその後に通ったイェール・ロー・スクールはどちらも優秀な成績で卒業したヴィンセントであったが、事故の後は二度とスポーツをプレーすることはなかった。 イェール・ロー・スクールを卒業した後はニューヨークにあるホイットマン・アンド・ランサム法律事務所のアソシエイト、次いでワシントンD.C.にあるキャプリン・アンド・ドライスデール法律事務所のパートナーとして働いた。アメリカ証券取引委員会(SEC)法人金融部のアソシエイト・ディレクターを務めたのもこの頃である。 1978年にコロンビア・ピクチャーズの社長兼最高経営責任者(CEO)に指名された。1982年3月にコロンビア・ピクチャーズがコカ・コーラ社に買収されたのに伴い、コカ・コーラ社のシニア・バイスプレジデント(専務)に任命され、さらに1986年4月にはエグゼクティブ・バイスプレジデント(副社長)に昇進して同社のエンターテインメント活動全般を担当するようになった。
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