出発直後の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 03:35 UTC 版)
「ベネディクト・アーノルドのケベック遠征」の記事における「出発直後の問題」の解説
9月25日、遠征隊のすべてがウエスタン砦を出発した 。モーガンのライフル隊が先導し、必要に応じて地面に銃を連射して道を作った コルバーンとボート職人たちはしんがりを進んでおり、必要とあらばすぐ修理できるようにしていた。モーガン隊の仕事は道を切り開くことなので、相対的に足取りが軽かったが、最後列のエノス隊は、物資の大半を運搬していた 。遠征隊は2日目に、最初の目的地であるハリファクス砦に着いた。この砦はフレンチ・インディアン戦争の史跡で、半ば朽ち果てていた。ウエスタン砦からここまでは、でこぼこした道が通じていた。ウエスタン砦からバトーを使うと、すぐ上流の滝のあたりで、陸路を行くことになり、荷物を積み替えねばならないので、それよりは地上を運搬した方が良かった。アーノルドは、重いバトーよりは、軽いカヌーを使うことにした。経路に沿っての動きが、よりすばやくできると思われたからだった。 10月2日、アーノルドは、ノリッジウォックに着いた。ケネベック川流域は、ここが最後だった。しかしこの、遠征が始まって間もない時期に早くも問題が持ち上がった。バトーが水漏れして、食糧が台無しになり、修理が絶えず必要になった。兵たちもびしょぬれだった。水漏れに加え、重いバトーを上流まで引っ張らなければならなかったからだ。気温が氷点下まで下がり始め、風邪や赤痢が蔓延するようになり、このため遠征隊の実働人員が少なくなっていった。 ノリッジウォックの滝から、1マイル(1.6キロ)ほど行ったところに、地元の住民が牛を提供しており、その援助で物資の運搬が成し遂げられそうだったが、すべてが終わるのには1週間かかった。アーノルドはそのため、10月9日までノリッジウォックにとどまった。コルバーンの職人たちは、この期間を利用してバトーの修理をした。10月11日に、殆どの遠征隊がグレート・キャリング・プレスに着き、アーノルドも翌日に着いた。遠征が延びた上に大雨で、連水経路がおそろしくぬかるんで、運搬が難しくなるという、災難続きだった。
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