出発点をめぐる論争とは? わかりやすく解説

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出発点をめぐる論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)

ロシア正教会の歴史」の記事における「出発点をめぐる論争」の解説

ロシア正教会出発点をどこに設定するかでまず論争存在する。 「ロシア」という地域名最初に文献登場するのは15世紀末、広く用いられるようになったのは16世紀になってからのことである。「ロシア」がどこから出発したかが曖昧な以上、「ロシア正教会の歴史と言った場合もどこに記述出発点を置くべきかは必然的に議論分かれるものとなる。 11世紀までは、ルーシ中心地域が現在のウクライナ首都であるキエフ周辺だったことを反映し正教会中心地キエフであったのだが、その周辺現代ウクライナとなっている南西ルーシ地域14世紀前後隣国リトアニア大公国ポーランド王国によって征服され以来18世紀エカチェリーナ2世による併合に至るまでウラジーミルモスクワ始めとした北東ルーシからは切り離されてもいた。「ルーシ」の正教会の歴史と、北東ルーシモスクワ中心とする現在のロシア正教会の歴史とは分けて考えるべきだとする見方説得力はある。 だが当初からキエフ府主教座は北東ルーシをも管轄していた。キエフ・ルーシ時代正教会ロシア正教会の歴史との間にどこまで連続性認めるかは難し議論となり決着はつかない。これは特にウクライナにおいて、政治的立場相俟って熱い論争となる歴史認識問題である。国境民族居住区域、地域中心地一定することのない、大陸のどこでもみられる論争である。 本項では、連続性有しかつ時代的境界線設定し難い教会史性質もあり、キエフ・ルーシ時代正教会ロシア正教会連続性一定程度認め10世紀後半頃のルーシから詳細な記述進める。ロシア正教会出発点をより後代看做す立場からも、この時代正教会の歴史ロシア正教会の歴史を知る上で必須のロシア正教会前史」であるとは最低限言えるからである。なお参考までに10世紀後半以前クリミア半島含めた状況および伝承について最初に若干触れる。

※この「出発点をめぐる論争」の解説は、「ロシア正教会の歴史」の解説の一部です。
「出発点をめぐる論争」を含む「ロシア正教会の歴史」の記事については、「ロシア正教会の歴史」の概要を参照ください。

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