八百長との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 01:36 UTC 版)
1991年9月、当時の理事長である二子山親方(元横綱・若乃花)が年寄と関取全員を対象として「無気力相撲」を議題とした緊急会議を開き、そこでは出羽海(元横綱・佐田の山、当時監察委員長)が現役力士達(及び当時の若い年寄衆)による金銭の絡んだ星のやり取りの横行を指摘した。出羽海はその緊急会議で「仲介者は厳罰を受ける」と示唆し、同年同月に板井は年寄襲名を却下されて廃業の憂き目に遭った。 師匠の大鳴戸親方が、廃業後に大相撲の「八百長」を告発し、板井が千代の富士グループの仲介・工作人(中盆)として八百長を行っていたと主張したが、このときは大鳴戸を名誉毀損で刑事告訴しようとした協会に板井は協力して八百長はない旨の証言をした。板井は1980年代に新宗教GLAに入会し、その後、八百長の真実を明かすことは神から与えられた自らの使命であると認識するようになった。そして、大鳴戸の死後の2000年1月21日、外国特派員協会の講演で、自らも「八百長」を告発し物議を醸した。千代の富士の53連勝の内3分の2が八百長であると告発し、記者から証拠を求められると「証拠はこの私です」と自らが中盆であったことを示した。 2008年には日本相撲協会と週刊現代を発行する講談社との間で争われている八百長記事をめぐる裁判の中で、現代側証人として出廷し、「(2000年1月八百長を告発したのは)とあるサッカーの試合のチケットを貰ったお礼」と証言した。また、現役時代に北の湖(元横綱)との取り組みの中で、自ら八百長を持ちかけたことを証言した。2000年には自身が現役時に記帳した八百長管理用のノートに基づいた暴露本を出版した。この一連の告発については上述した1991年9月の緊急会議、年寄襲名却下との因果関係が取り沙汰された。
※この「八百長との関わり」の解説は、「板井圭介」の解説の一部です。
「八百長との関わり」を含む「板井圭介」の記事については、「板井圭介」の概要を参照ください。
- 八百長との関わりのページへのリンク