八橋流とは? わかりやすく解説

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やつはし‐りゅう〔‐リウ〕【八橋流】

読み方:やつはしりゅう

箏曲流派の一。天和貞享(1681〜1688)のころ、八橋検校筑紫流箏曲基礎にして創始八橋孫弟子生田検校が、生田流創始し以来衰微した大阪信州松代(まつしろ)・沖縄にその芸系の八橋流が現存する


八橋流

読み方:ヤツハシリュウ(yatsuhashiryuu)

筑紫箏および三味線流儀の一。


八橋流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 05:54 UTC 版)

箏曲」の記事における「八橋流」の解説

賢順弟子法水師事したのが当道座属した盲目音楽家八橋検校であった。彼は三味線胡弓名手でもあったが、三味線音楽などではすでに民間新し音階である「都節音階」が使われ普及していた。八橋はこれを箏に応用しこれまでの律音階による調弦から、都節音階による新たな調弦法である平調子ひらぢょうし)、雲井調子くもいぢょうし)に改めた以後現在に至るまで、この平調子は箏のもっとも基本調弦法とされている。こうしてこの新たな調弦法にのっとり多数新しい曲を作曲した。これらは筑紫箏よりもより世俗的当世風でかつ芸術性高く当時世に広く受け入れられることになった八橋検校の箏作品には「箏組歌」(箏伴奏付き歌曲)と「段物」(器楽曲)の二種があり、いずれも整然とした楽式構造を持つのが特徴である。組歌としては「菜蕗」(ふき)、「雲井の曲」など、段物としては「六段の調」などが知られている(「六段の調」の作曲者について異説もある)。八橋以後もこれらの形式による作曲が行なわれた。なお 八橋検校時代には、箏曲三味線音楽それぞれ別の音楽として成立しており、基本的に合奏されることはなかった。八橋検校弟子たちによって八橋流は継承発展していった。八橋検校直接伝承その後長く受け継がれ、現在でも細々伝えられている。

※この「八橋流」の解説は、「箏曲」の解説の一部です。
「八橋流」を含む「箏曲」の記事については、「箏曲」の概要を参照ください。

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