全郵政の結成
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第二次世界大戦直後の1946年5月31日、郵政事業に従事する者のために全逓信従業員組合(のち全逓信労働組合、略称・全逓)が結成された。全逓は当時の熱烈な労働運動を受けて、戦闘的なものであったため、労使協調志向の右派は全逓主流派の動きを批判していた。こうして全国各地に、反全逓・労使協調の組合が誕生した。 その内の一つが、1953年に全逓を脱退した全国特定局労働組合(全特定)であった。全特定は組織人員約2万人の、特定郵便局職員の組合である。また別の一つに、1958年の春闘を巡る混乱(全逓が勤務時間中に組合の大会を開いたことに対し、当局は解雇7人、停職297人を含む2万2,478人の大量処分をする)で全逓を脱退した230人によって1958年に結成された全郵政従業員組合(全郵政、初代委員長・宮尾真一)があった。全郵政は普通郵便局職員の組合である。全郵政は他の脱退派と合同し、1960年には全国郵政労働組合(郵政労組)となっている。 全特定と郵政労組は、郵政当局の助けもあって、1965年10月16日に組織統合し、全日本郵政労働組合(全郵政)となった。組織人員約2万2,000人、初代委員長は福井秀政、全日本労働総同盟(同盟)と全官公に加盟。 (※注1)全特定が結成される以前、各地に小組合が林立した。主な理由は、当時の全逓執行部が闘争の一環として特定郵便局対策の交渉窓口を閉鎖したために、無集配特定郵便局従業員が、当時まだ封建色の強かった特定郵便局長と労使交渉を事実上行えなくなったため、とされる。 (※注2)全郵政の名は宮尾委員長の組織が最初に名乗っているが、運動的には後述の福井委員長(全逓の支部長を辞し脱退)が大阪中央郵便局において立ち上げた組織を基礎とする。例えば、全郵政札幌中央郵便局支部のルーツをたどれば、その頃に大阪中央郵便局で福井とともに活動していた役員の関与がある。なお、福井は当時の社会党右派(のち民社党)の西村栄一(大阪府在住の国会議員)をこの頃すでに支持していた。
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