全女管理下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 07:03 UTC 版)
「WWWA世界シングル王座」の記事における「全女管理下」の解説
松永が1968年に旗揚げした全日本女子プロレスは、バークからタイトルの権利を買い取る話を進め、まず、1970年8月にロスで行われたトーナメントに優勝したマリー・バグノンが、バークからベルトを授与されて二代目王者となった。同年10月に東京で京愛子が奪取してから日本に定着し、全女の管理下に置かれることになった。京は王座の連続防衛22度成功しており、現在でも日本女子プロレス史上最多タイトル連続防衛記録である。 管理権譲渡を受けた当時、全女はNWAに加盟しており、NWAの規約上加盟団体は独自の王座には世界と冠することができなかったが、NWA世界女子王座はNWA本部直轄ではなかった(当時のNWA王者ファビュラス・ムーラ個人管理)ことからWWWA王座を世界王座とすることができた。 女子プロレス最高峰のベルトで、ベルトの皮の部分の色から通称「赤いベルト」と呼ばれた。全女最強の象徴だったが、ダイナマイト関西(JWP女子プロレス)によって初めて他団体に流出してしまった(その後、神取忍(LLPW)もベルト奪取に成功)。1997年の経営危機による大量離脱の際、棚ボタ式で堀田祐美子が同王座に戴冠した際にOG達から猛烈な反発があったことからも、女子プロレス界において非常に重要な意味を持つ王座であったことがうかがえる。 なお、初代のベルトは京が保持していた1970年10月26日を最後にバークに返却され、2代目のベルトが全女によって作られた。このベルトは1985年8月にジャガー横田が王座防衛した際に3代目に更新されると同時にその功績によりジャガーに贈呈された。
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