入来温泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 05:20 UTC 版)
入来温泉 | |
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入来温泉の柴垣湯 | |
温泉情報 | |
所在地 | |
座標 | 北緯31度49分24.1秒 東経130度26分13.7秒 / 北緯31.823361度 東経130.437139度座標: 北緯31度49分24.1秒 東経130度26分13.7秒 / 北緯31.823361度 東経130.437139度 |
交通 | 鉄道:JR九州新幹線・鹿児島本線・肥薩おれんじ鉄道線川内駅から市内横断シャトルバス東郷・祁答院コース祁答院支所行き45分、鹿児島交通入来駅行きで55分、入来温泉口下車、徒歩10分 車:九州自動車道鹿児島北ICより国道3号国道328号を通り約30km |
泉質 | 塩化物泉、炭酸水素塩泉 |
泉温(摂氏) | 43-57 °C |
pH | 6.3-6.4 |
浸透圧の分類 | 低張性 |
入来温泉(いりきおんせん)は、鹿児島県薩摩川内市入来町副田にある温泉。副田温泉と表記される場合もある。
歴史
南北朝時代の建徳二年(1371年)に「副田湯」として記録が残っている。その後「ゆかわち(湯川内)」として記録され、江戸時代中頃の天保年間には「湯河内温泉を世俗に入来温泉と称す」と記録されていたことから、この頃より入来温泉という名称が定着したと考えられる。当時は入来領主の経営する六温泉と湧湯二箇所が存在したが、明治以後に温泉は五つとなって村有となった。現在残る柴垣湯とあぜろ湯の二つの市営浴場は、いずれも江戸時代の六温泉にルーツを持ち、柴垣湯の名称は明治以降、あぜろ湯の名前も「網代湯」として江戸時代から記録されている。明治53年(1900年)に私営温泉が新設され、大正6年(1917年)からは入浴料をとる公営浴場が営業を開始し、昭和時代には私営の公衆浴場・亀の湯も新設された。[1]
泉質
- 炭酸水素塩泉(低張性・中性・高温泉)
- 塩化物泉
泉源により、泉質は異なる。
温泉街
藺牟田池の西方に位置し、周囲には城跡や武家屋敷跡などが残っている。なお、同名を冠する入来温泉センターは藺牟田池の南方に位置しており、8kmほど離れている。 3軒の共同浴場(うち2軒は市営公衆浴場)と数軒の宿泊施設があり、過去に営業していた宿泊施設の跡地も残る。
アクセス
- 鉄道・バス:JR九州新幹線・鹿児島本線・肥薩おれんじ鉄道線川内駅から市内横断シャトルバス東郷・祁答院コース祁答院支所行きで45分、鹿児島交通入来駅行きで55分、入来温泉口下車徒歩10分、あるいは柴垣湯前下車すぐ。
- 車:九州自動車道鹿児島北ICより国道3号国道328号を通り約30km
脚注
- ^ 「入来温泉の沿革」入来町文化財審議会監修、昭和60年2月
固有名詞の分類
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