党派の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
ベルサイユ行進の後革命運動を指導、組織するいくつかの党派が形成された。財政危機の中で様々な動きがある中でそれぞれの階級の人物が動き、次第にいくつかの党派へのまとまりが作られていった。ラファイエット派は1790年5月に設立され入会金は100リーブルで、かなり高い収入がないと入会できなかった。ここには最上層部に属する自由主義貴族と最上層のブルジョアが参加した。パリのジャコバン修道院を会場に設立されたジャコバンクラブは国民議会の左派が集まった。会費は年間24リーブル、入会金は12リーブルで、職人や労働者では参加できなかった。ジャコバンクラブには議員以外にも職人の親方層から貴族まで広く参加した。コルドリエクラブは大衆を組織してその意見を政府と議会に押しつけることを目的に設立された。1790年4月頃には存在していた。会費は月2スーと極めて安かった。小商人から職人、労働者まで参加した。このクラブの指導者の中に後に恐怖政治の推進者の姿がかなり見られた。コルドリエクラブの実権を握っていたものも裕福なブルジョアであった。
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