優生学・民族衛生学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 05:18 UTC 版)
19世紀から20世紀にかけて断種は優生学によるため世界的に行なわれ、1892年にはスイスで民族衛生学の観点から精神障害者の女性に対して断種手術が、1897年にはドイツで遺伝病の女性の断種手術(卵管切除)が施された。 1920年には刑法学者カール・ビンディングと精神科医アルフレート・ボーへが『生きるに値しない生命の根絶の許容』を発表し、不治の者が死への意思を表明している場合や、瀕死の重傷を負った意識のない患者は安楽死が認められるべきであるし、意思表明ができない「不治の痴呆者」については「彼らの生命自体が無目的で家族にとっても社会にとっても重荷であるゆえ」、家族や後見人が申請し、医師と法律家から認定されるなら殺害を可能にすべきと主張した。 1923年には遺伝学者エルヴィン・バウアー、オイゲン・フィッシャー、フリッツ・レンツ(Fritz Lenz)が共著 『人類遺伝学と民族衛生学の概説』で、劣等な遺伝子の排除が民族衛生にとって最善であると説き、ヒトラーやナチスに影響を与え、「ナチス優生学のバイブル」と呼ばれた。レンツは障害者の「繁殖」を予防する手段として、安楽死を非人道的だとして除外し、断種を用いるべきだとした。レンツは1931年、『人種衛生学に対する国民社会主義の立場』で「ナチスは人種衛生学をその綱領の中心的な要求として代表する最初の政党」であると称賛した。
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