偽古文尚書とは? わかりやすく解説

偽古文尚書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:39 UTC 版)

書経」の記事における「偽古文尚書」の解説

古文尚書失われてしまったが、東晋時代元帝在位317年 - 323年)の時に豫章内史賾(ばいさく)という人物が、「古文尚書」を発見したとして朝廷献上した。後に偽作であることが判明しているので、現在ではこの『書経』は「偽古文尚書」(ぎこぶんしょうしょ)と呼ばれる。 この本は「今文尚書」のうち「舜典」を除く28篇(篇を分けると33篇)と、新出偽作部分である25からなるものであり、合計する劉歆桓譚のいう「古文尚書58篇」の篇数と合致するまた、注釈として孔安国伝が付され孔安国大序と百篇書序が各篇につけられているが、これも賾による偽作であり、現在では「偽孔伝」と呼ばれる。なお、本のうち「今文尚書」と重な28篇(「舜典」を除く)に関しては、漢代から引き継がれ系統テキストであり、新たに偽作されたものではない。 本には「舜典」が存在しなかったため、魏の王粛注の「堯典」を二つ分け後半の「慎徽五典」以下の部分が「舜典」として用いられた。「舜典」には孔伝が存在しないため、王粛注・范寧注が代わりに用いられた。その後南朝の斉の姚方興がその闕を補う「孔安国古文舜典」を献上したが、この本には「慎徽五典の手前に二十八字加えられていた。 この賾本は、東晋で学官に立てられその後南朝において継続して受容された。北朝では鄭玄注の『尚書』が用いられていたが、本に注釈をつけたの費甝(ひかん)の義疏が隋の劉炫によって受容されると、北朝においても広まった。このとき、劉炫賾本と姚方興本を合わせた本を用い、このテキスト徐々に広がるようになった。唐の『尚書正義』(『五経正義』の一つ)がこの賾本と姚方興本を合わせた本を用いたことで、以後はこのテキストの『尚書』が一般的なものとなる。現在に伝わる『尚書』はこの系統のものである。 唐の玄宗天宝3載(744年)、衛包が古文尚書改訂行い字体古文から開元文字改められた。現代伝わっている尚書は、このときの改訂経たのである

※この「偽古文尚書」の解説は、「書経」の解説の一部です。
「偽古文尚書」を含む「書経」の記事については、「書経」の概要を参照ください。

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