偽古文尚書への疑い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:39 UTC 版)
『書経』に対する文献学的な研究は、特に宋代以後に活発になる。例えば、程頤が金滕篇を、蘇軾が胤征篇・顧命篇を疑った例がある。梅賾によって献上された本が偽作ではないかという説は、南宋の呉棫『書稗伝』によって初めて提唱された。これを承けて、朱熹も書序・孔伝への疑問を示している。 その後、梅賾本が偽作であることについては、元代の呉澄、明代の梅鷟(中国語版)が論証を行った。そして、清の閻若璩が20年の考証の結果を『尚書古文疏証』全八巻にまとめ、25篇は偽古文であると証明した。 なお、偽古文尚書は偽作であるとはいえ、まったく価値のないものとはいえない。その資料は古文に散見するものを収録してあるから、古代資料としての真を伝えるものとして価値がある。また、その内容についても、小林一郎は経典として一向に差支えがないとしている。その理由として、たとえば仏教の経典はお釈迦様が自分で書いたものでもなければ、教えを聞いた者がその場で筆記したものでもなく、ただ多くの人々が語り伝えたものを、仏陀の死後数百年後に集めて書いたのであるが、その内容が尊いものであるから価値があるのであり、偽古文尚書についてもこれと同じであるとしている。
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