倉安川用水
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疏水の概要 | |||||
■疏水の所在 岡山市 規模は約20km ■所在地域の概要 江戸時代以前は、農業用水路としてのはたらきだけでなく、飲料水や洗濯水など生活用水としても利用されていた。また、水路を高瀬舟が通行し、主要な交通機関としての役割も果していた。ところが現代では、鉄道や自動車が発達し、高瀬舟の時代は終わり、また昭和29年に上水道が通るようになると、生活用水としての機能も終焉した。しかしながら農業用水路としての機能や、親水機能は現在も有している。 ■疏水の概要・特徴 倉安川は、延宝7年(1679)に津田永忠によって築かれた、吉井川と旭川を結ぶ人口河川であり、南部の干拓地へ灌漑用水を送る水路であると同時に、高瀬舟の運河でもあった。江戸時代、高瀬舟は、この倉安川吉井水門に築かれた二重式水門で水位を調節して倉安川に入り、旭川へ出て岡山城下まで通じていました。また、昭和34年には岡山県の史跡に指定され、現在学校教育の場として利用されたり様々な保全活動がなされている。 |
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