修道院生活におけるルターと「神の義」
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「マルティン・ルター」の記事における「修道院生活におけるルターと「神の義」」の解説
ルターは修道生活にもすぐ慣れ、祈りと研究の日々をすごしていた。この修道士時代に、ルターは、聖書を深く読むようになり、ウィリアム・オッカムの思想に触れた。1506年には司祭の叙階を受けたが、初ミサを立てる中で、ルターは弱く小さな人間である自分がミサを通じて巨大な神の前に直接立っていることに恐れすら覚えた。当時からルターは、どれだけ熱心に修道生活を送り祈りを捧げても、心の平安が得られないと感じていた。長上であり、聴罪司祭であったヨハン・フォン・シュタウピッツの励ましも、ルターの恐れを取り除くことはできなかった。 エアフルトで教えていたルターだったが、シュタウピッツの勧めもあって、できたばかりであったヴィッテンベルク大学に移って哲学と神学の講座を受け持つことになった。彼は、ここでアリストテレスの手法を適用したスコラ学的なアプローチの限界を感じ、神を理性で捉えることは困難であるという理解に達した。その後、再びエアフルト大学で教えたり、修道会の使命を帯びてローマへ旅行するなどしたが、最終的にヴィッテンベルクに戻り、そこで神学の博士号を取得して、聖書注解の講座を受け持った。 その頃からルターの心を捉えて離さなかったのは、パウロの『ローマの信徒への手紙』に出る「神の義」の思想であった。いくら禁欲的な生活をして罪を犯さないよう努力し、できうる限りの善業を行ったとしても、神の前で自分は義である、すなわち正しいと確実に言うことはできない。この現実を直視していたルターは、苦しみ続けたが、あるとき突如として光を受けたように新しい理解が与えられるという経験をする。そこでルターは、人間は善行(協働)でなく、信仰によってのみ(sola fide)義とされること、すなわち人間を義(正しいものである)とするのは、すべて神の恵みであるという理解に達し、ようやく心の平安を得ることができた。これが「塔の体験」と呼ばれるルターの第二の転機であった。ここでルターが得た神学的発想は、のちに「信仰義認」と呼ばれることになる。 ルターは、この新しい「光」によって福音と聖書を読み直すことで、人間の義化に関しての理解と自信を増していった。「正しいものは信仰によって生きる」、かつてあれほどルターを苦しめた「神の義」の解釈を見直したことによって、大きな心の慰めを得るようになったのである。
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