作詞とアレンジの変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 13:47 UTC 版)
「てぃーんず ぶるーす」の記事における「作詞とアレンジの変更」の解説
しかし、原田の書いた原詩ではストレートで重すぎるということになり、代わりに、流行歌として商業ベースに乗せられることが可能な作詞家として松本隆が起用されることとなる。元ロックバンド「はっぴいえんど」出身でドラマー兼作詞担当だった松本は、ジョン・レノンに影響を受けており、ポール・マッカートニーが好きな原田と共作させて「日本のレノン=マッカートニーになるといいな」というスタッフサイドの思案もあった。 原田は、「松本隆さんは、そんな反体制的なイメージを "ジェームス・ディーン" というキーワードを出すことにより代弁させてくれた」と近年の複数のインタビューで語っているが、当時はできあがってきた歌詞が軟弱に感じショックを受けたという。「ズックって何だ?こういうことを言いたいんじゃない・・・。」松本とのこの時期のコラボを、歌詞にいろいろな表現法があることを知る上で大変勉強になり感謝していると語っている原田だが、この時はまだ、松本の洗練された世界を受け止めるには若くて直情的過ぎた。 松本は、「当時の男性アイドル歌手にありがちな、君が好きだ、俺について来い的なものではなく、男だって悩み苦悩するというのを歌詞にしたかった。まだ若いんだから自分がのたうちまわるような歌詞にしたほうがいい。彼を見た時、それを表現できるのではないかと思った」と述べている。 デビューに向けての3曲のシングルは1977年6月-7月頃、レコーディングが行われた。最初は要領もわからないので、サウンドメイクはほぼ依存する形で進行。 原田が作ったデモテープの時点では、イントロにスティービー・ワンダーのようなブルースハープが入り、アコースティックギターのカッティングを基調とした作りで、「洋楽のロックアーティストがあえてアコギを弾いて歌ってるような渋いイメージ」を想定していたが、出来上がってきたアレンジは、キーボードを主体とした、当時のニューミュージックの先端をいくような軽いタッチのものに変更されていた。またテレビでも、あえてピアノを弾いて歌う演出法がとられたり、曲自体をもっとハードに仕上げたかった原田と製作側の意向とではギャップがあったようである。 このように、大人がよってたかって自分の世界を削るという割り切れない思いがあり、その葛藤の発露として、1978年7月24日、デビュー1年目(9ヶ月)、10代ソロ歌手では史上初といわれる日本武道館公演において、レコードバージョンとは大きくイメージを変えた、ハードロック調の原曲の思いに近いアレンジに変更して演奏した。
※この「作詞とアレンジの変更」の解説は、「てぃーんず ぶるーす」の解説の一部です。
「作詞とアレンジの変更」を含む「てぃーんず ぶるーす」の記事については、「てぃーんず ぶるーす」の概要を参照ください。
- 作詞とアレンジの変更のページへのリンク