作用と基盤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:25 UTC 版)
「チカーノ・ナショナリズム」の記事における「作用と基盤」の解説
チカーノ・ナショナリズムによって、チカーノらは自身の表現で自らをグループとして定義し、そのグループの運命を決めようとした。彼らはアステカの創造神話の「北にある場所」を意味するアストランにルーツを求めた。アステカはメキシコの占領と歴史の中心にあるため、アストランという言葉を使うことは、脱植民地化の過程の一つに民族遺産の再生という新たな側面を加えることになった。 チカーノ・ナショナリズム感情は米国とメキシコの地理的な近接性によって強化された。チカーノは「アストラン」という言葉を、メキシコ割譲地内の領地に対して使った。この土地は1493年にアレクサンデル6世の大勅書インテル・カエテラによってスペインに「譲与」され、1821年にメキシコ帝国が(かつての)スペイン領植民地であるとして所有を主張し(この主張は1822年にスペインに否定された)、そして1824年メキシコ憲法によって「直轄地」(territorio)として主張され、最終的には1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約の結果アメリカ合衆国に割譲されたものである(既にメキシコシティにあった政府から独立を宣言して独立領地となっていたテキサスも含んでいたが)。 チカーノ活動家は、ナショナリズム・イデオロギーへの傾倒を用いて、チカーノ団結をおびやかす個々の違いを無くそうとした。メキシコ系アメリカ人には地域・言語・年齢・文化・人種・性の差があったが、それらすべての差は民族全員に共通するチカーノ運動への献身に替えられた。その一方で、これらの個人差や、非ヒスパニック白人との結婚率が高いことは、大部分のメキシコ系アメリカ人がチカーノ・ナショナリズム主義を自分とは関係ないと考える大きな要因となっている。
※この「作用と基盤」の解説は、「チカーノ・ナショナリズム」の解説の一部です。
「作用と基盤」を含む「チカーノ・ナショナリズム」の記事については、「チカーノ・ナショナリズム」の概要を参照ください。
- 作用と基盤のページへのリンク