作曲家&ソロ活動
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帰国後、エピックのディレクターに才能を見出され、ミュージシャン契約を結び、当時のロック・ミュージシャンとしてはかなり珍しいタイプで「アイドルへの積極的楽曲提供とプロデュース」で一躍売れっ子作曲家として注目を浴びる。提供した歌手は中森明菜、沢田研二などが特に有名。楽曲提供活動と並行しながらソロ活動を始め、1983年(昭和58年)6月21日に「大沢誉志幸」名義でシングル「彼女には判らない (Why don't you know)」、アルバム『まずいリズムでベルが鳴る』でソロデビュー。 1980年代は作詞家の銀色夏生とタッグを組み、アルバム『CONFUSION』からのシングルカットである「そして僕は途方に暮れる」をはじめ「ゴーゴーヘブン」「君の住む街角」などのシングルヒット、アルバム『Serious Barbarian』のシリーズ三部作やオムニバスアルバム『Dance To Christmas』の企画などで、鈴木雅之、佐野元春、大江千里、TM NETWORK、渡辺美里等と並びEPICソニー黄金時代の稼ぎ頭として活躍した。 1989年(平成元年)の「STOP&ギミーラヴ」から、音楽性がスタイリッシュなAORサウンドへと移行し始め、1995年(平成7年)にワーナーに移籍すると『Love Healing』『Loveduce』『Love Life』の「LOVE3部作」を発表した。1998年(平成10年)末にレーベルの枠を越えた2枚組ベストアルバム『ID Y BEST COLLECTION』を発表した後、1999年(平成11年)3月5日、「悦楽の15年 最後のシャウト」(東京国際フォーラム ホールC)を以って、大沢誉志幸としての歌手活動を終了、その後数年間は作曲家やプロデューサー活動に専念する。
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