作曲家デビュー
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大手製紙会社に入社するも数ヶ月で退社し、大学の先輩で放送関係の仕事をしていた作曲家・服部正に師事した。当初は服部に「音楽大学出身者以外の弟子は取らない」と断られたが、連絡先を書いたメモを郵便受けに置いて帰った所、数日後に電話で入門を認められた。当時は痩せていたという。 出世作のレナウンのコマーシャルソング「ワンサカ娘」(歌:弘田三枝子)は、当時レナウンの宣伝部に在籍していた実妹(川村みづえ:イエイエのCMのイラストは川村の作品)の紹介で実現したという。これ以後、その作曲数では三木鶏郎に及ばないものの、CMソングを中心とした作曲活動を展開するようになり、数多くの作品を世に送った。『ふりむかないで』『ワンサカ娘』『日生のおばちゃん』『この木なんの木』など、長いあいだ放映されて多くの日本人の耳になじんでいるCMソングが多い。 1969年、「イエイエ」、「エメロンシャンプー」他のCM音楽作曲に対して、第6回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞。 また作曲だけではなく、歌謡曲の一部の作品では作詞の他にも編曲も手掛けている。
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作曲家デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 20:40 UTC 版)
1985年 5月、作曲家としてデビュー。最初の提供曲は稲垣潤一 「the Rule Of Love」である。提供する際のデモテープは、多重録音を施したほぼ完全パッケージに仕上げていた。その後、髙橋真梨子、永井龍雲などのメジャーレコード・シンガーへの楽曲提供が続く。 1986年 彩恵津子、斉藤由貴、中村あゆみなど多くのシンガーやアイドルへの楽曲を提供している。また同時期、シンガーとしてのデビューが決定する。
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